Nov 29, 2010

物置き場になっている部屋のソファ

部屋に二人掛けソファ。アームレストの部分が楽できるので、足を伸ばして寝転がることもできます。が、最近のソファーはアーカイブされてしまい、誰も座ることができない状態。荷物がたまってくると整理はあるが、それでも数ヶ月後に回復。今ではソファに毎日眠ることにするしか方法がない気がします。
ベッドを買うとき、デザインを最初に決定していたので長年使用している間に圧力がかかるのは、へこみになってしまい、結局は寝心地が悪くて何度も根がえりを打っていました。そのため、朝起きてもすっきりしません。寝て疲れて感じるようになってしまい、硬い強度のあるスプリングのベッドに交換をし、寝心地抜群です。
 和歌山県田辺市文里の神島高校にある戦没者を祭った忠魂碑が、旧体育館などの撤去工事に伴い、同市湊の闘鶏神社境内に移転される。同校では15日、学校関係者らによる遷座式を予定しているが、碑建立のいきさつなどを調べており、情報の提供を呼び掛けている。
 同校によると、忠魂碑は高さ2・1メートル、幅1・2メートル、奥行き50センチ。台座は幅1・7メートル、奥行き1・2メートル、高さ40センチ。旧体育館そばのプールと格技場の間に建っている。
 碑には「興亜聖戦忠魂碑」と刻まれているが、建立の年月日や団体名などがない。いつ誰の手で建てられたのか不明で、慰霊祭は開かれていない。学校にある資料にも記録がなく、卒業生に問い合わせているが分からないという。
 同校は、5年後の創立100周年に向けて記念誌を作成中で「忠魂碑のことを知っている人がいれば教えてほしい。もし判明すればこの機会に記録として残しておきたい」と話している。
 県教委は、老朽化した同校の旧体育館、プール、格技場を建て替える。撤去工事は来年3月23日まで。
 旧体育館と格技場に代わり、鉄骨2階建ての武道場(延べ床面積約600平方メートル)の建設を計画し、設計に入っている。

 太平洋戦争中にマレー半島で起きた日本軍による華僑(中国系の住民)虐殺の被害者が語る「アジア・フォーラム横浜・証言集会2010」が4日、横浜市神奈川区鶴屋町のかながわ県民センターで開かれる。マレーシア国籍の鄭(てい)来(らい)さん(75)が来日し、当時の記憶を振り返る。フォーラムは17回目。

 1942年3月、6歳だった鄭さんは、家族とゴム園の小屋にいたところ、被害に遭った。母親に抱かれていた幼い弟は銃剣で刺され即死。鄭さんも背中を刺されるなどして気を失った。結局、家族7人で生き残ったのは鄭さんら2人だったという。

 鄭さんは「過去の間違いを繰り返すことは絶対あってはならない。多くの人に事実を知ってほしい」と話している。鄭さんの講演後、琉球大学の高嶋伸欣名誉教授による解説もある。

 午後3時から。資料代として千円が必要だが学生は無料。問い合わせは、同フォーラム横浜電話090(9346)5884。

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2010年12月1日、山東省済南市で旧日本兵の山崎宏さん(102)が亡くなった。山崎さんは同市で65年間、中国で破壊行為を行った罪を償うために無料診療所を営んでいた。2日付で斉魯晩報が伝えた。

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山崎さんは1908年生まれ。1937年に旧日本軍第10歩兵師団に従軍して中国の地を踏み、1938年4月に軍隊から脱走、そのまま済南市にとどまった。1945年に日本が投降した後は同市で診療所を開設。それから65年間、中国で行った破壊行為への償いとして毎週土曜日と日曜日に市民への無料診察を続けた。2009年には日本の内閣総理大臣賞を受賞している。

亡くなった知らせが伝わると、山崎さんの自宅には近くの住民が次々に弔問に訪れた。山崎さんは死後に検体することを希望していたため、2日、遺体が警察病院に引き取られた。診療所の机には「誠心誠意、人民に奉仕することが最高の美徳」と書かれた紙が今も残されているという。(翻訳・編集/NN)


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 旧日本軍の従軍医として日中戦争期の1937年に中国に渡り、中国人女性と結婚して現地で医師をしていた男性、山崎宏さんが1日、103歳で亡くなった。2004年には重病を患ったが、最近は健康だったといい、死因は伝えられていない。山崎さんの意思により、遺体は現地の医学研究のために献体された。

【その他の写真】

 山崎さんは1908年、岡山県生まれ。1938年に中国で軍隊から脱走し、戦後、山東省済南市に診療所を構えて週末に現地住民らを無料で診察していた。戦争への贖罪(しょくざい)の気持ちからの行動だったという。

 献体手続きは04年に済ませていた。山東省で外国人が献体を行うのは初のケース。(新華社記者 郭緒雷撮影)

(編集翻訳 恩田有紀)


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